職業差別には反対

たとえ、売れない芸人や役者やバンドマンや微妙なバーテンダーがいきなりやって来て子どもが出来ました娘さんを僕にくださいと言い放ったとしても、彼が、身なりは小綺麗で短髪で靴は履き古しておらず靴下には無論穴など空いておらず充分に緊張した面持ちで当然のように隠しきれぬ不安を湛えてさえいれば、こんなことにはならなかったはずだ。

 

これは、たとえ、たとえばの話。

 

こんなことには、なんて言っているけれど、あきらかな事象、目に見えて起こったことについてはその当事者の想定内であり、起こったことではなく「起こしたこと」であるので、何も驚かないし嘆くことでもない。

それなら「こんなことに」や卑屈っぽい妄想から漂う、後悔のような自責の念のような、雑に言って薄めのやっちまった感、の正体は何なのだろう。

可視化出来ない、当事者の憶測の部分が彼女(彼)のほそく脆くなった神経を削っている。雑に言って勝手に想像してモリモリ病んでる。

 

こんなありふれた感情、昇華するなり消化するなりしたいなら、どんどん雑に言うべきことなんだけど、受験生に嫌われそうなスッと入ってこない論説文のエッセンスを加えながら書き綴ることで愛情と金をかけて丁寧に育てられた結果っていうか意味を示そうとしているのかもしれない。その人なりに。だってまあまあのいい(がくひの)高校とか大学とか、通わせてこれかよ、な仕上がりなんだよその人、情操教育っていうの?そういう面の未発達さ、あといくつになっても片付けとか書類の管理とか出来なくて薄汚れた彫り深め世界観強めの男が好き(旦那は顔薄い)なの、申し訳がなさすぎるでしょう。思いやりだって人並みに育まれてきたはずのその人なら、焦りもするよね。

 

心がギャルだから、親とか友だち大事に出来なくてイケてない人無理なの。爆笑

 

 

PS 子どもの昼夜逆転をなおすことに躍起になっています。