Re:Re:move

今は特定の誰かを憎む元気もない、みんな(実体なし)しね、しねしねモード、全部やんなっちゃっただけで、誰のことも傷つけたくない。いい歳してネットの海に140字の浮き輪を浮かべるのが楽しいだけなので、白けたくない方、暗い気持ちになりたくない方、リムーーブやミューートを推奨する ょ

薄橙色の便箋に、滋味深い筆跡で

実家に帰っていた。自分宛の宅配便が届く。

受け取った父が、差出人の名前を読み上げる。静岡在住の松口弥代子という女からだった。名前に聞き覚えも心当たりもないが、聞いたことあるかもしれなーい、とわざとらしく呟きながら包みを開く。

 

送られてきたのは、クッションカバーくらいの大判、向こう側が透けて見えるほど薄切りの和牛と、枯れかけた胡蝶蘭だった。

 

いつの間にか、牛肉は母の手により一枚一枚ソファとクッションに広げられ(所々重なっているが、何故か「敢えてそのようにされている」ことが分かる)、丁度一体化し、クッションカバー然としている。そして胡蝶蘭の鉢の置かれた部分の床だけが、宇宙空間になっていた。

添えられた手紙には、「その包みを開けたら、入信の意思があると見なす」と書かれていた。

 

うーん、鮮明だ。特に、差出人のところと生肉のテクスチャー。とにかく気持ち悪くて、思いっきり目が覚めた。不眠、なんとかならんかね。

誰とでもどこにだって行けるし

カンブリア宮殿村上龍をちらりと見、大学のゼミの教授が「村上なら春樹ではなく龍を読め」と言っていたのを思い出し、ばあちゃん家のある隣街が舞台の小説、知ってる土地で繰り広げられるセックスドラッグロックンロールを想像して浅くナーバスになり、途中まで読んでは頓挫し、を繰り返した『限りなく透明に近いブルー』を、実家の自室の本棚から久方ぶりに取り出した。

桜桃忌

彼のことに就いては、詳しくない。
生年月日は忘れた。テレビのクイズ番組で出題された「この書き出しの作品を答えよ」で、彼の有名な小説の冒頭文を見ても、ピンとこなかった。強くて弱くて煩くて美しい、小説の数々の結末を、残念ながら私は、覚えていない。ファンじゃないんじゃないだろうか。

 

母方のおばあちゃんが、にやにや、しかし薄らと嫌悪を滲ませながら「バーの女と死に損ねた男」と言っていた(おばあちゃんは瀬戸内寂聴さんのことも、「あの不倫女」と言っていた)。おばあちゃんにとっては只の、自分と同じ時代を生きたロクデナシ、ま、ゲージュツカだから仕方ないよね、みたいな感じかー、なんて思った。好きな人がその場に居ない時に皆から悪口言われてて、傷つく反面あれ私この人好きなのってダサいのかもしかして、え、私ダサい…?みたいなライトな残酷さのなかで、人目を憚る余裕のある、底の見える好き、を抱えた思春期らしい恋愛モードに、何度陥ったことか。彼を想って。

 

大学の卒論も、彼の小説について書いた。しつこくて卑屈な笑いをつまみ上げ、改めて眺めた。
それを書く上で、作家と女の関係性、表現についての論文を幾つか目にした(それらも、何を言っていたのかは忘れてしまった。何はともあれ、記憶力が悪くて嫌になる)。何と言っていたのだろう、恐らく、女性目線がどうとか、女への愛情がどうとかだ。

 

彼は女という生き物を誇張していたけれど、馬鹿にしていたのだろうか。否、違う。人が潜在的に隠し持つ強靭な美意識や、自尊心の露呈を、可愛げと毒気にまみれた文体であらわした『皮膚と心』という作品は、私の心の一冊だ。

 

浅くないですか、玉川上水

 

桜桃忌に、愛をこめて

すき家がいい、駅前にないから

身も心も死んでて何も出来ないで落ち込んでるのを後目に料理の腕をぶんぶん振るって手際いいでしょ、褒めてよ、…何?そんな食べたくないなら食べなくていいよ、は、今の自分にはきついきつすぎる、あと性的なことが元々そんなに嫌いじゃなかったのにイヤになって、本人的にもきてんなーこれってなってるところに真面目な顔して外で済ませてきたほうがお互いのためになるのかな、とか言っちゃうの心底馬鹿かと思うよ、別にいいけどあんただけいい思いしてずるい、報告するなよ、と思うだけだよ、黙って牛丼買って帰ってきてくれたらやらしてやるのに

 

見たか、頭の中の

3.19 日記
三鷹へ。
当時付き合っていた(追っかけてきたから向き合うことにしたらすぐに逃げられた。誕生日にプレゼントするはずだったTシャツは今も自分で着ている)彼氏との(高速で作った)思い出がいっぱい。
そんな地を、ベビーカー押して家族三人で歩く。駅に散歩マップがあったので貰って、参考になりそうじゃない、と夫に見せるも、一度も開いてくれなかった。モヤ。まあ良い。吉祥寺まで歩く。
夜は、前から食べてみたかったスリランカ料理の店に行く。なんだかココナッツの味が多め、ちょっと苦手だった。スパイスは嫌いではないが、しばらくいいやと思った。
アイス買って帰宅。


3.20 思ったこと
調子が良い時のわたしは、我ながらべらべらっと喋るが(ベラベラではない。音のままのダラダラしたイメージ。その感じ方にも個人差あるか。日本語は擬音語・擬態語が難しい。考えて使ってみるも誤っているようで、笑われてしまうのだと、外国の人が言うのをよく耳にする。自分は日本語ネイティブだけど、結構好きなように使っているなと思うし、日本人は彼らのそれを訂正すべきではないと思う。決まりなど気にせずに、無意識、「感覚」で話したい。あとは一人称も気分で変えたい、せっかく色々あるんだし。私わたしあたし)、自分ではわりと気に入っている。これに好意的で、欲を言えば密かに愛していてくれる人と、一緒にいたい。密かでいい。愛してくれ。結婚て何なんだろね、本当に。百二十回目のターン。


3.21 日記
久々の中野。ブロードウェイ、タコシェで少々トリップ、あの並びでは味薄めな、ノーマルな書店を一周して一旦心を鎮める。その後は人形専門店でBlytheを舐めるように見たり、カード売買の店のビックリマンパチもんにくぎづけになったりした。ポーっとした頭のまま中野セントラルパークの芝生の広場へ移動したら、真っ直ぐ歩けない程の突風に見舞われ、爆笑。子ども、大興奮。あれで戻ってきた気がする。
買い物して帰宅。
赤魚の開きに(おろしてくれるというので)大根おろし、トマトと卵の炒め物、長葱の味噌汁。少し酒を飲む。ほろ酔いでいつもに増して饒舌な夫の仕事論を、洗濯物を畳みながら(作業は抑止力。そんな、自分で言わなくても、そこは尊敬してるってば、みたいなことを言ってしまわぬ様)、聞く。すごいねって言ってあげるのが妻の務めか。心が狭くてごめんね。感じるべきなのか不明な、ぼんやりした罪悪感。
深夜三時、勿論寝ている。ちょっと手を握ってみた。でかいな

ギャルに頼まれたので、机に明朝体で「湘南乃風」と書いたことがある。

男の人は好きだし、友情は美しくも哀しい。「オトコ一瞬ダチ一生」(Simejiすらスムーズに変換してくれない、ノスタルジー)だと、結婚して子どももいる今となって、心から思う。

一瞬の為に愉しむのが幸せだ。一生だからそれによって苦しむことも救われることもある。

四半世紀生きてきて、否、この六七年で到達した境地。義務教育プラス三年の内の、世の中の善/悪とされていることに何の疑問も抱かずに、適度に揺られ生存が分かる程度に頭を現しながらぼんやり生きていた頃には想像も出来なかった、モラトリアム期間を経て社会や男や女、人間関係のさざ波に揉まれた結果、辿り着いた場所。

 

ノートの表紙にポスヵで気軽に書ぃてィィ言葉なンヵぢゃナィ。